涙とともに種を蒔く者は、喜び叫びながら刈り取ろう。
詩篇126篇5節
生きていると悩んだり、失敗したり、行き詰まることがあります。しかし、こうした悲しみの中で流される涙の種は、やがて新しい希望を生み出す喜びを刈り取ることができると聖書には約束されています。
ジャパニーズゴスペルチャーチは、生きづらさを抱えた若者たちが集う教会です。私たちの教会は「最も弱くて不信仰な人が居心地よくいられる場所としての主の教会」を目指しています。
私自身も中学生時代は不登校で、ひきこもり生活をしていました。そんな私が14歳のときにニュージーランドへ渡り、現地の日本人教会へ通うようになり、イエス・キリストを救い主として信じるようになりました。その後、音大生となりましたが、友人の死をきっかけに牧師となる道がひらかれ、関西人の妻と、4人の子どもたちが与えられました。
聖書のみことばの中には、私たちの生きる希望があります。生きづらさを抱え、涙とともに種を蒔くような日々があろうとも、私たちには喜び叫びながら刈り取る希望が与えられているのです。ジャパニーズゴスペルチャーチは、あなたの来会を心からお待ちしております。
ジャパニーズゴスペルチャーチ
主任牧師 坂本牧裕
JGCの成り立ち
2001年12月
- ニュージーランド・オークランド アトリエK2(書店&カフェ)にて定期礼拝開始
ニュージーランドオークランド アトリエK2にて、日本語で礼拝を開始。時代・場所に必要とされる礼拝形式を主に問いつつ、「楽しく、若者を中心として笑いのある礼拝」をビジョンとしてスタート。
2003年5月
馬小屋教会スタート
- ニュージーランド・へレンズビルに住んでいたメンバーが中心となって立ち上げた教会。
- JGCのビジョン「楽しく、若者を中心として笑いのある礼拝」の一つ、名物ともなった礼拝の中での若者達によるバイブルスキットはここから産まれた。
2003年9月
お好み焼き教会(JGC横浜)スタート
- お好み焼きころんぶす根岸店の店内にて礼拝
- ニュージーランドのJGCでクリスチャンとなった者が、日本に帰国しても信仰を持ち続け、成長できるように横浜でも礼拝を持とうと始まった教会。会堂がない為、お好み焼きころんぶすの店内を礼拝場所とした。礼拝は信徒が中心となり無牧であったが、横浜カナンキリスト教会の佐藤敏牧師が定期的に来ていただいてメッセージをしてもらった。その後、お好み焼き店からアトリエK2(スタジオ)に礼拝場所を移し、JGC横浜と名称を変更する。
2004年4月
- JGCシドニー定期礼拝をスタート
- JGCシドニーはニュージーランドから移住したメンバーが中心となり家庭礼拝から始め、その後に礼拝場所をメイウィルイングリッシュカレッジ(語学学校)、丼カフェ(日本食レストラン)、アトリエK2シドニー、ラリンガランゲージスクール(語学学校)で行った。
2008年
- JGCより初めての直接献身者として、坂本牧裕が東京聖書学院に派遣され、入学し学び始める。JGCは、オークランド、シドニー、横浜それぞれが彼のために、祈りと経済的なサポートを開始した。
2010年2月
- 田上理恵子 初めての主任牧師に就任
2010年7月
- JGC横浜 礼拝場所をお好み焼きころんぶすから、K2本社ビル4Fに移す
2011年4月
-
- 小林献 牧師就任
- 坂本牧裕 副牧師就任
JGCシドニー協力牧師であった小林献牧師家族は、日本ホーリネス教団よりJGC横浜派遣牧師として就任。東京聖書学院を卒業した坂本牧裕は、副牧師として就任。
2011年12月
- JGC10周年記念礼拝
- ニュージーランドのオークランドで始まったJGCの10周年を記念し、信徒の証を集めた冊子を発行、記念礼拝を行った。
2012年10月
- 墓所献堂式(司式 小林献師)
- 横浜聖地霊園に墓所を購入。JGCの信徒やその家族のみならず、クリスチャンであろうとなかろうと、希望があれば受け入れる新しい形の墓所として、JGCが今後管理していくことを信徒総会にて決定し、献堂式を行った。
2013年3月
- 小林献師 主任牧師就任
2014年12月
2017年11月
- JGC横浜 礼拝場所を根岸駅前モンビル6階にあるLiveBoxM6に移動。
- これまでより収容人数が増え大規模な礼拝、イベント実施が可能となった。
2018年6月
- 坂本牧裕師 主任牧師就任
2019年2月7日
- 宗教法人認証式(神奈川県)