「わたしはこれを喜ぶ」 坂本牧裕牧師
今日は成人のお祝いをしました。私たちの人生には様々な節目、通過儀礼があります。
南太平洋のバヌアツでは成人の儀式としてナボールといういわゆるバンジージャンプを行います。イギリスの大学生がその真似をしたのが、バンジージャンプの始まりということです。
人生の様々な通過儀礼、それを一緒に喜ぶことが出来るのは神様の恵みです。節目節目で喜びを分かち合うことが出来る、というのも教会のいいところですね。
今日とりあげるのはマタイの福音書の中でイエス様が洗礼を受けた場面からのみ言葉になります。
なぜ神の子として罪のないイエスがバプテスマを受ける必要があったのでしょうか。本来ならそれは必要のないことでした。
しかしイエス様がバプテスマを受けたのは神様の御心でした。
神様は私たちのいる、心を咲かれるような痛みが生じる社会の中にいる。私たちと同じ人の姿になって、危険の多いこの世界に来たこと、それを示すためにイエス様はバプテスマを受けたのです。そんなイエス様を私たちが信じることが、神様の喜びになるのです。
神様、私たちの生き方や心の中に神様の喜びを喜ばない気持ちがあるなら、それを悔い改めさせ、あなたの喜びを喜ぶことが出来るように私たちのありようを変えてください。
記録:恩田直実