「天井に穴あけていいの?」 坂本牧裕牧師
彼らの信仰を見て、イエスは「友よ、あなたの罪は赦されました」と言われた。(ルカ5章20節)
1、すると見よ。(18節)
新約聖書には、「見る」という言葉が200回ほど使われています。医者ルカが記した「ルカの福音書」「使徒の働き」には、「見る」という言葉を80回使うほど、ルカにとっては「見る」ことは大切なことであったと考えられます。
「するとそこに、男たちが...」(新改訳第3版)、「すると、男たちが...」(新共同訳)と訳されていますが、新改訳2017では、「見よ」と訳されています。原文のギリシャ語でも、「見る」という単語が使われています。
中風をわずらっている人の表情を見ているでしょうか。彼を運んできた人たちの様子を見ているでしょうか。そして、なぜ屋上に上って天井に穴をあけたのか見ているでしょうか。
みことばは、私たちに「見よ」と語りかけます。1日のうち、私たちは何を見ていますか?
わたしたちは、目の前の現実をきちんと見ているでしょうか?通り過ぎる景色のようになっていないでしょうか?
2、彼らの信仰を見て(20節)
真実とも訳される「信仰」をイエスさまはご覧になりました。偽りのない心、まっすぐの気持ちをイエスさまは見ておられます。そしてイエスさまは「友よ、あなたの罪は赦された」と語られました。
彼らののぞみは、彼の病気を治してほしいことでした。しかし罪が語られたとき、中風の人を運んできた人たちは、建造物等破壊罪、不法侵入罪で訴えられてしまうことで、ドキっとしたかもしれません。
また当時は病気になってしまう原因は、何か悪いことをしたから、罪が原因だという考えがありました。何も悪いことしてないのに、なぜ病気になったのか?なんでこんな状態で生まれてきたんだ。神さまが悪いんだ...という思いになったことがあったかもしれません。
神さまとの関係性をつなぎあわせるために、一人ひとりを友として招くために、イエス様さまはこの地上に来てくださり、「あなたの罪は赦された」と語ってくれました。神さまとの関係よりも他のことを優先に生きていた自分の姿に彼らは気づかされたのです。
天井に穴をあけていいですか?それはダメなことであると同時に、神さまとの関係に穴をあけていいんですか?そして、父の日の今日、私たちは父との関係に穴をあけていいんですか?とも問われています。
関係性を修復できる方であり、関係性をより豊かにすることができるのは、父なる神の遣わしたひとり子イエスキリストなのです。