「みことば信仰」 坂本牧裕牧師
人々は、その教えに驚いた。そのことばに権威があったからである。(ルカ4章32節)
人の手で作られたもに拝礼をすることは教会ではしません。なぜならキリスト教信仰の中心は、聖書のみことばだからです。私たちは人の言葉に傷つきもするが、人の言葉に慰めらることもあるように、言葉によって影響されます。
1、みことばの力
人が、人の言葉に影響を受けるのであれば、ことばによって天地を造られた神さまのみことばにはどれほどの力があるでしょうか。神の御子として地上に遣わされたイエスさまが、悪霊に取りつかれた人や、発熱で苦しんでいたペテロの姑にみことばを語りました。するとそこには癒しが与えられ、平安と喜びと希望が訪れたのです。なぜなら、神さまのみことばには、力があるからなのです。
2、みことばに仕える
力あるみことばによって癒されたペテロの姑は、「立ち上がって彼らをもてなし始め」ました。みことばによって健康を取り戻した彼女は、イエスさまに仕える者とされたのです。
語られたみことばは、その場限りで終わってしまうものではありません。礼拝で語られたみことばは、教会で完結してしまうのではなく、礼拝後の日常生活である職場、学校、家庭生活の中でイエスさまに仕える者として、イエスさまのみことばと共に私たちは遣わされていくのです。
みことばの力に信頼をし、日常生活の中でみことばに仕えていくことが、生きたみことば信仰なのです。