「はじめの兄弟」

あなたが正しく行ったのであれば、受け入れられる。(創世記4章7節)

最大級の台風が接近しています。しかし私たちはキリストにある兄弟姉妹として、離れていても祈り合う、支え合う事ができる恵み中に生かされています。兄弟というものも、本来は共に支え合い、励まし合う存在ではありますが、はじめの兄弟カインとアベルは、神さまの喜ばれない歩みとなってしまいました。

カインとアベルは、捧げものをもって礼拝を捧げました。兄カインは作物を作り、収穫物を捧げました。また羊を飼うものとなった弟のアベルは、初子の中で最も良い羊を捧げました。二人からの捧げものを前に、神さまは弟アベルの捧げものに目を止めました。兄カインの怒りは神さまだけでなく、弟アベルに向かい、殺害してしまったのです。

捧げることはプロセスが大事

なぜ神さまは弟アベルの捧げものに目をとめたのでしょうか。それはアベルが「捧げる」プロセスを大事にしたからです。礼拝は信仰者にとって生活の中心です。それは自分の身体を捧げ、自分の時間を捧げるということです。私たちは、礼拝のためにどのような準備をしているでしょうか?そのプロセスの中で、神さまに心を向けて、神さまを思い、礼拝への準備がなされていきます。神さまは、 カインとアベルの心を見ておられます。何を捧げるかではなく、どのような思いで、どのようなプロセスの中で捧げているかを神さまは見ているのです。

捧げることはお返しすること

神さまに捧げるということは、お賽銭のように何かを求めて、見返りのように捧げることでもなければ、義務的に納める会費でもありません。兄カインは、捧げてさえいれば大丈夫だという思いがあったのかもしれません。天地を創造された神さまは、私たちがこの地球で生活する上で必要なすべてのものをお与えくださっています。捧げるとは、自分のものを神さまに与えるのではなく、神さまから与えられた恵みに感謝して、神さまにお返しするということなのです。

私たちはどのような思いで神さまの前に立っているでしょうか?・・・私たちの心を見ていてくださるのが、私たちの神さまなのです。