JGCでは新型コロナウイルスの感染拡大防止の為に日曜礼拝をウエブで行っています。離れた場所にいるJGCの仲間も一緒に礼拝を守り、コロナウイルスの感染防止の為、また感染した方やご家族が守れるよう、医療従事者などの為にお祈りしました。
【メッセージ】
「信じたいのに信じられない」 坂本牧裕 牧師
信じない者にならないで、信じる者になりなさい。 ヨハネの福音書20章27節
嘘のようなホントの話があります。目に見えないウィルスが、世界中に恐れと混乱を与えるとは、信じられないような本当の話しです。そして、2000年前に十字架にかけられたイエス様が3日後によみがえることも、信じられないような本当の話しです。
そのとき、イエス様の弟子は何をしていたのか?家の中にいた。ひきこもってはいない。コロナウィルスが怖かったわけではない。イエス様が捕われてしまい、自分たちも捕われてしまうのではないかと恐れていた。恐れと不安の中にあった弟子たちに、イエスは「平安があなたがたにあるように」と言われ、平安を与えてくださった。いつコロナの影響が出てくるのか、どうこの状況を乗り越えていけるのか?私達は不安の中にある。イエス様は、「平安を与えたい」と願っています。不安の思いをストップする。平安の中に生きる!不安を平安に、恐れを喜びにしてくださるのがイエス様です。
しかし、恐れを喜びに変えてくださるイエス様と、一緒にいなかったお弟子さんが一人いた。トマスさん。甦ったイエスに出会ったお弟子さんたちは、「平安を与えてくれたんだ〜!!」と興奮して話した。しかし、その場にいなかったトマスは、「そんなわけねぇだろ」と思った。「私はその釘のあとに手をいれてみなければ私は信じません!!」と言った。
その後1週間がたち弟子たちは家の中にいた。今度はトマスもいた。イエス様の弟子たちは、トマス以外はみんな復活したことを信じていた。でもトマスだけは、イエスの復活を信じられなかった。トマスはどういう思いでその中にいたのだろうか?アウェイ感がトマスにあったかもしれないが、その家の中では、不信仰のトマスであっても受け入れられる、なんともいえない居心地の良さがあったのではないか。信仰をもっていても、もっていなくても、つながれる場所がここにある。
イエス様は、家の中に来られ、「平安があなたがたにあるように」と言われた。この言葉のさきには、トマスがいた。さらに、あなたの指をここにつけて、「手を差し入れなさい」と、トマスのために!その一人のために!家にきてくださった。それぞれの生活の場、それぞれのところから礼拝をささげている。それぞれつながっている場所、家にイエス様は来てくださる。その場所でイエス様と出会うことができる。イエス様の関係性を深めていくことができる。
トマスが何と呼ばれていたか?トマトじゃないよ?デドモと呼ばれるトマスです。デドモとは双子という意味があります。本当に双子だったかもしれないし、トマスの中には2つの性格があったと考える学者もいます。
しかしトマス、その双子のもう一人はあなたではないでしょうか?見ないと信じないというのは、トマスだけではないのではないでしょうか?信じたいけど、死んだ人がよみがえるなんて信じられない。でも、信じないものにならず、信じるものになりなさい。いつでもどこでも、コロナの中にあっても、これからどんな不安があっても、私達にイエス様は平安を与えてくださるという選択があります。
トマスはあなたの姿です!!信じたくない。信じる?信じない?関係ない??でも、そんなトマスのような私にも、イエス様は変わらない愛、変わらない御言葉を語ってくださる。「平安があなたがたにあるように!!」と私達に語っていてくださるのです。私たちは、平安に生きるものとして招かれているのです。